親を大切に
って世間的にはめっちゃ良い響きだし、昔は当たり前のように言われていたり、道徳的で、常識人。
でもね、親を大切にしたい気持ちが、本当にその親の事が好きでたまらないのであれば、抑圧ではないけど、本音を言えなかったり、親から一方的に怒られたり、親も歳だからとかで自分の気持ちや本音を言わなかったり、ムカついてるのに言わなかったり、親から進路を決められたり、やりたい事を我慢させられたりしても反抗せずに従ったりして、自分の気持ちを抑圧して良い子にしてると、エネルギーの歪みがでて、何かがトリガーになって疾病状態にもなったりします。
また、その抑圧した親への気持ちを、どこの現場でも上司、先輩、主催者、教師、講師などに、無意識にぶつけはじめます。
それこそ、
・親に出来なかった反論、反抗を、親にではなく、何年もたっていても他者に当たるような感じになったり
・また親との構図(子どもの頃の家庭での構図)を違う場所でも見て(本人は気づかないけど)嫌な気持ちになったり
それでも、親との関係性だけは、親を労わらなきゃ、親を大切にするのが良い事って思い込みに縛られているので、家もあまり良くはないけど、外はもっと嫌な事が起こります。
例えば、自分が趣味でやっている合唱の先生に一方的に何かを言われたり差別を受けているような気持ちになったりして反抗的なやりとりになったり、合唱の仲間が話している時に嫌な態度と目つきで見ていたり(本人は気づかないけど)
これが悪いわけではないけど、本来親に言えなかったり、反抗しなかったら、それを違う場所の違う大人に当る訳です。
どこに行っても同じような気持ちになる訳です。
他の例でいくと、お父さんが崇拝されていた家庭で、意見が違う自分だけ居場所がない気持ちになる事があれば、その時に関わる1番近いものにその構図を当て嵌めて見ているので、それがなにかの習い事であればその習い事の先生と仲間との構図をそこにみていたりします。
それが嫌で離れたとしますね。
そしたら、それは他の所属団体に移行して、今まで良いなと思っていた人が、ある時からちょっと嫌だなって思い始めたりします。
結局は自分に抑圧してるものがあると、その抑圧のタネから外側を見るので、条件が揃った時に、同じような事が起こり、似たようなものを目にしたりします。
楽しみにしていた事が親の都合でなくなった時に感じていた思いをその後の人生で何度も味わったり、傷ついたり、はたまた自分の都合に合わなければ愛されていないとか、愛してくれないと言いはじめたりします。事実とは違うものしか見えないのがフィルターです。
自分が眼鏡をかけていて、その前に網目の細かい編を貼り付け、網を貼った記憶がなければ、網を通してしか外側が見えないですよね。
首を振ってどこを見てもその網を通してわずかに見えるくらいです。
これがフィルターを通してみてる状態で、網は自分のフィルターです。
これをクリアリングしていくと、フィルターを通してではなく、事実だけが見えてきます。
そもそもは今世で言うと、家庭での構図を、外側にも同じよう中現実を作り上げていくのは、その網(フィルター)が目の前に貼ってあるからです。
オーラ層の最後の手前まではほとんどのエッセンスは効果があるのでフラワーエッセンスとったり、最後の層までインナーアルケミー (エンパワメント)メソッドでクリアリングしたりしていくと、この世界の見え方がクリアになっていくので、人生は激変好転します。
世間の良いや道徳的良いに合わせて抑圧していると、クリアリングもエッセンスも時間がかかり、苦しい時間が長くなります。